この日本100名城めぐりの旅シリーズでは、「日本100名城制覇」を目指す私もぐが実際に登城した日本100名城を紹介していきます。
今回は三重県伊賀市にある伊賀上野城に訪れました。
伊賀上野城は、築城の名手である藤堂高虎が築いた城です。
今回は、
①伊賀上野城の特徴である直線的高石垣
②築城の名手、藤堂高虎という人物
を中心に伊賀上野城の見どころを紹介していきます。
伊賀上野城の歴史、見どころ
見どころの前に、伊賀上野城の歴史をさくっと勉強。
伊賀上野城の歴史を理解するには、①~③の3つの天守閣を抑えると分かりやすいです。
①天正(1585年)に、筒井定次によって築かれた三重の天守
↓
関ヶ原の戦い後、定次が改易され藤堂高虎が城主に
↓
②高虎が築いた約30mの高石垣、五層大天守(天守は竣工直前に暴風雨で倒壊し、再建されず)
(関ヶ原合戦後、大阪に残る豊臣方に備えた)
↓
③昭和10年(1935年)地元の名士川崎克氏により、復興天守が再建
続いて伊賀上野城の観光の際に、注目したい3つの見どころをご紹介します。
直線的な高石垣
伊賀上野城で外せないポイントとしては、この直線的な高石垣!。
どうでしょうか、この景色。足がすくんでしまう高さでした。
石垣の高さは、1,2位が大阪城にあり、伊賀上野城の石垣は3位となります。
約30mほどです。
大阪城の石垣も大きいと感じますが、伊賀上野城の場合は写真のように下を覗くことができるので、石垣の高さを存分に感じることができます!
(注:十分に気をつけて見学してください。)
高石垣を城の西側からみた写真です。
下からみても、石垣が高く積み上げられ、圧巻でした。
写真では伝わりきらないと思うので、ぜひ生で高石垣と水堀を見てみてください。
ここで日本城郭検定ちょっと豆知識。
藤堂高虎が築いた城は、直線的高石垣が大きな特徴。
加藤清正は、熊本城を代表とする反りのある高石垣を特徴とするのに対し、藤堂高虎は反りのない直線的高石垣を特徴とします。
日本城郭検定でも、よく出題されています。
藤堂高虎という人物
伊賀上野城の館内では、藤堂高虎という人物について、分かりやすく解説されています。
生誕から主人を変えながら戦に翻弄する様子、
平和な時代になり、家康のもとで数々の城を築き、そして外様ながら徳川家康の信頼を獲得していく。
私も天下普請で数々の城を築城していたのは知っていたのですが、日光東照宮や京都南禅寺の造営にも関わっていたことや満身創痍で指を何本か失っていたことは驚きでした。
主君を次々と変えたことでも有名な高虎ですが、自分を評価してくれる人のもとで働くこと、時代の流れを読み能力を発揮すること(戦→城作り)などは現代人も見習うべき点だと感じました。
復興天守
先ほどの伊賀上野城の歴史で振り返った通り、現在の天守は復興天守です。
昭和10年(1935年)に地元出身の代議士、川崎克氏が私財を投じて建設された全国的にも珍しい城です。
三重三階の天守に子天守が繋がった連結式天守。
鉄筋コンクリートではなく、木造で建築されています。
子天守には外部と通じ、攻めにも守りにも使用できる忍び井戸があります。
天守閣には藤堂高虎や川崎克氏の資料はもちろん、忍者の里「伊賀上野」らしく忍者が隠れていました(笑)
また桜の時期には、桜と天守閣を同時に楽しむことができます。
スタンプ設置場所、御城印
伊賀上野城の日本100名城スタンプ設置場所は、入ってすぐの受付に設置してあります。
御城印は、藤堂家の家紋の御城印(200円)でした。
アクセス
伊賀上野城へ電車で行くには、大きくJRと近鉄電車の2パターンあります。
①JR伊賀上野駅からバスまたは伊賀鉄道で上野市駅まで行き、徒歩で行く
②近鉄伊賀神戸駅から伊賀鉄道で上野市駅まで行き、徒歩で行く
JRで伊賀上野駅まで行く方法については、下記の記事で紹介してます。
ICOCA対応エリアが拡大し、便利になりました。
まとめ:生で見たい高石垣
以上、伊賀上野城の見どころについてご紹介しました。
城好き、石垣好きなら見たい伊賀上野城の直線的高石垣、ぜひ石垣の高さを感じていただきたいです。
それでは、次の登城まで。
参考
伊賀上野城パンフレット
日本100名城 公式 ガイドブック