皆さん、どうももぐです。
今回は、中山道歩き旅8日目!
日本橋を出発して8日目、旅はいよいよ中山道最大の難所和田峠にさしかかります。
冬の時期は積雪し、遭難する旅人もいたほど厳しい道です。
そんな前情報を入れながら歩いた和田峠ですが、苔が美しい、素晴らしい自然が目の前に広がり、印象が変わり、驚きの連続でした。
そんな素晴らしい自然に注目しながら、読んでいただければと思います。
お忙しい方はハイライト(和田峠)だけでも、お時間のある方は順番に見てください。
それでは、どうぞ。
8日目の基本情報
2020年9月26日
歩行
歩行距離:長久保宿から下諏訪宿まで32km
歩行時間:8時間10分
歩行ペース:3.9km/h
お金
食費:1,468円
宿泊費:3,744円(諏訪シティホテル成田屋)
交通費:189円
合計:5,401円
経過
民宿みや(8時50分)出発
↓
和田宿(10時30分)
↓
和田宿出発(11時)
↓
和田峠口(12時20分)
↓
和田峠頂上(14時10分)
↓
和田峠頂上出発
↓
棚橋茶屋本陣跡(16時10分)
↓
木落とし坂(17時)
↓
下諏訪宿(18時10分)
コンビニカウント
セブンイレブン:1軒
ファミリーマート:0軒
ローソン:1軒
和田峠には、コンビニがありません。
飲料水、食料が確保できないので、民宿みやで調達してから出発するのが得策です。
(飲料水は民宿みやで買い、昼食はおにぎり付きの宿泊プランで確保しました。)
和田峠には途中に名水が飲める場所があるので、飲料水はそこでも確保できます。
峠を越えたら自販機がありますが、飲み物は多めに持っていくのが安心です。
出発まで
8日目は出発までにも出来事がありましたので、書きます。
8日目の起床は6時半ととても早起きでした(というより起こされたというのが正しい笑)。
6時半に奥さんの大きな声がして目覚めたもののどうしても眠たく、起きてないふりをしていたのですが、何回か呼ばれたので、慌てて起き上がりました。
案の定、すでに朝食が用意されていました。
日本人のthe朝食という感じで、野菜ゴロゴロのお味噌汁が美味しく、お腹が満たされました。
キッチンにいたご主人と様々なお話をしました。
・中山道を歩きに行く人の話
・迷子になった人を迎えに行った話
・この先の和田峠について
・この地域の話
などなど
こうやって地元の方と話せるのも民宿の良いところですね。
民宿みやを後にします。
じいちゃん家に来ているみたいに、リラックスして過ごせました。
民宿みや~和田宿
せっかく朝早く起こしてもらったにも関わらず、二度寝して出発は8時50分。
結局、いつもと同じような時間になってしまいました(笑)
和田宿に向けて、歩きます。
道中の自然あふれる景色をご紹介します。
のどかな風景です。
茅葺き屋根のバスの停留所がありました。アニメの世界にいるかのようでした。
ヒノアラシもさりげなく座っています。
民宿みやから歩くこと1時間40分ほどで、和田宿に到着です(10時半)。
和田宿では、共通観覧券300円(大人)で以下の建物を見学することができます。
中山道和田宿本陣ー国史跡、現存本陣の一つ
歴史の道資料館 河内屋ー国史跡、規模の大きい旅籠
資料館羽田野・大黒屋ー旅籠
和田黒耀石石器資料館
林業資料館
詳しくは長和町のHPをチェック→長野県長和町観光協会公式ホームページ
今回は時間の都合上、「歴史の道資料館 河内屋」と「和田宿本陣」を見学していきました。
歴史の道資料館 河内屋
こちらが「歴史の道資料館 河内屋」。
和田宿に入り、一番初めに目に入る建物です。
文久元年(1861)3月10日の大災で焼失したが、その年の11月、本陣、脇本陣等と同じく再建された。
歴史の道「中山道」資料館パンフレット
和田宿の旅籠のなかでは規模が大きく、出桁造りで格子戸のついた宿場建物の代表的な遺構で、江戸末期の建築様式をよく伝えている。
昭和56年度、歴史の道整備事業の一環として「歴史の道資料館」として復元したものである。
旅籠の建物の様子を見学できました。
和田宿本陣
続いて、「和田宿本陣」。現存する本陣の一つです。
この建物は中山道和田宿の本陣として、文久元年(1861)に建設されたものである。
歴史の道「中山道」資料館パンフレット
この年の3月には宿場の大半を火事で焼失し、前身の本陣もこの際に灰燼に帰したが、11月の皇女和宮降嫁の宿泊地とされていた和田宿では、この使役を全うすべく幕府の拝借金を得て、宿場の復興が行われその中心建物として再建されたものである。
本陣建物は大名などの宿泊に当てられる「座敷棟」と、本陣の所有者が生活する「居室棟」に別れており、この建物は「居室棟」にあたる。
明治維新後は本陣の役割を終えて、役場・農協事務所として昭和59年4月まで使用されていた。役場の新庁舎移転にともない解体の運命にあったが、調査の結果和田宿における、重要な遺構としての価値が認められ昭和61年より解体修理が行われ、5年の歳月をもって、往時の姿に復元された。
中山道歩き旅(前編)の中で、様々な施設に寄りましたが、和田宿が最も本陣についての勉強になりました。
街道歩きが好きな人はもちろん、街道・宿場町について知らない方でもおすすめできる施設です。
建物に入ると、ボランティアの方が分かりやすく説明してくれたため、理解度が高まりました。
火事で焼失してから、突貫工事で建物を建てたこと
大名が宿泊する際の様子(風呂桶から調理道具まで全て持ってくる)
和田宿に残る貴重な立て札、壁紙について
5街道について・和田峠について
和田宿に来る旅行客や修学旅行生について
などなど。
修学旅行に和田宿を選ぶとは、いい学校だなと感じました。
しかし生徒たちにとっては大変。
テストもあるそうで、70点以上取らないとやり直しで勉強させられるらしい(笑)
東京・大阪などの観光地は大人になってからいつでも行けます。
しかし、和田宿はほとんどの人にとっては一生のうちもう行かないかもしれない場所なので、昔の日本について勉強する良い経験になるのではないかと思いました(大人になって街道に興味を持っているからこそですが…)。
すでに中山道以外の4街道を歩いていましたが、知らないことも多くとても勉強になりました。
ボランティアの方にそろそろ出発しないと日が暮れてしまうと言われ、なくなく説明の途中で抜けました。和田宿はまたゆっくり訪れたい場所です。
和田宿~和田峠頂上
和田宿を後にし、中山道最大の難所「和田峠」に向かって行きます。
和田宿を超えると、少しずつ山の中へ入っていきます。
ここからは、動物たちの生息区域です。
鈴を鳴らして歩くと安心です。幸いクマの姿を見かけずに済みました。
唐沢の一里塚です。
江戸から51番目の一里塚なので、約200kmくらい来ました(1里=約4km)。
中山道のルートが途中から一部変わったことにより、両塚が綺麗に残っています(写真では写せてないですが…)。
和田峠口(12時20分)。ここからいよいよ本格的な山登りです。
苔、苔、苔。足元一面に美しい苔が広がり、癒されました。
苔に覆われた石、「苔石」が綺麗です。
この自然を独り占めでき、最高の気分!
お腹が空いたので、大自然のなか、民宿みやで握ってもらったおにぎりを食べていきます(12時半)。
昆布と梅のおにぎり、うまい。
永代人馬施工所(和田峠接待)。茅葺の屋根が味わい深い建物です。
江戸呉服町の豪商かせや与兵衛(有隣)が中山道の旅の難儀を幾分でも助けようと金1,000両を幕府に寄付した。その金の利子100両を二分して、碓氷峠の坂本宿とこの和田宿に50両ずつ下付し、文政11(1828)年に設置された施行所の一つである。
歴史の道「中山道」資料館パンフレット
11月から3月まで峠を越える旅人に粥と焚火を、牛馬には年中桶一杯の煮麦を施行した。
その後、山抜けにより焼失したが、嘉永5年(1852)現在地に再建され明治3年(1870)までつづけられた。
昭和58年度歴史の道事業の一環として復元したものである。
冬になると積雪があり、遭難することもあったと言われるこの和田峠、旅人にとってはオアシスのような場所だったと想像できます。
和田峠接待近くにある名水、ここで水分補給することもできます。
ここからは峠頂上までの素晴らしい自然をご紹介。
美しい自然。センター・ジ・オブ・アース2の神秘の島に来たかのような光景でした。
中山道の旅でここまでの自然に出会えるとは思ってもみませんでした。
写真の光景が今でも、脳裏から離れません。
こんな綺麗な景色に出会えて、疲れも吹っ飛びました!
臨場感の出るように下から撮ってみました。
石畳に苔が生え、「苔畳」の自然豊かな道です。
極めつけは「苔橋」です。
ちょこんと橋に佇むヒノアラシもかわいいです。
和田峠頂上までは、目に入るもの全てが大自然で、飽きることなくとても楽しい山登りでした。
和田峠の頂上(標高1,531m)に到着(14時10分)!それにしても高い。
五街道の中で、最高地点です。
9月でも少し肌寒いのに、冬の時期でも旅人や牛馬が往来していたなんて、中山道の旅は命がけだったと想像できます。
東京⇔京都間を簡単に移動できる現代は、当たり前ではないんですね。
改めて文明のありがたさを感じます。
和田峠頂上~下諏訪宿
30分ほど頂上に滞在し、下諏訪宿に向けて下っていきます。
和田峠頂上を越すと、これまでの苔の道ではなく、ガレ場の道が続きます。
岩がゴツゴツしていて、足にダメージがきます。
道も狭かったので、注意して歩きました。
しばらく山道を進むと、国道に合流します。
和田宿出発がギリギリになり、暗くなる前に下山しようとここまでほぼ休まず歩いてきましたが、この辺でさすがに足が痛んできました。
国道をしばらく進むと、棚橋茶屋本陣跡(16時10分)がみえます。
皇女和宮も休憩された茶屋本陣です。このあたりがちょうど標高1,000mになります。
旧中山道の通り、国道の脇道を進むと、ススキだらけの道がありました。
秋の訪れを感じました。歩くのは大変でした。
7年に一度行われる御柱祭の木落しが行われる坂(17時)です。
この木(写真は模擬御柱)に人がまたがり、
この坂に落とすという何とも命がけな祭りです。
次に行われるのが、2022年。都合があえば、行きたいですね。
木落とし坂の手前、道を確認していると、おじいちゃんに声をかけられ道を教えてくれました。
それから渡したいものがあると、木落とし坂のオブジェをもらいました。
ありがとうございます。記念になりました。
街道歩きで出会った人の優しさは、本当に身に染みました。
それから20分ほど歩き、下諏訪の街が見えてきました。
ホッとしたのもつかの間、雨が降ってきました。最後まで雨に愛された旅でした。
諏訪大社下社春宮のベンチで雨宿り、下諏訪宿までもうすぐです。
下諏訪宿の街並み。中山道唯一の温泉場として栄えました。
着替えがなかったので、温泉には入りませんでしたが、少しもったいなかったかなー。
下諏訪宿本陣。こちらも現存本陣で、中山道随一とされる日本庭園があります。
今回はほとんど観光できなかったので、またいつかゆっくり観光したいと思った宿場町です。
中山道と甲州街道は、下諏訪宿のこの地で合流します。
1年前の夏、この場所から甲州街道を出発し、中山道歩くときにもう一回来るだろうなとは思っていましたが、実際来るとここまでの道中、この1年間など色々思い出して、感無量でした。
中山道経由で日本橋から下諏訪まで8日間、甲州街道経由で下諏訪から日本橋まで8日間、どちらも8日間でした。比べると、中山道の方がハードな旅でした。
これで中山道歩き旅(前編)は終了です。
また長期休みが取れたときに、下諏訪宿から三条大橋に向けて歩きます!
8日目の食事、ホテル
合流地点から下諏訪駅まで歩き、今日の宿泊地がある上諏訪駅に向かいます。
上諏訪駅すぐ近くにある「そば秋月」さんのみそ天丼と温かいそばです。
みそ天丼が諏訪の名物のようで、初めて食べました。
おでんも味噌で食べたい派の味噌好き人間なのもあり、美味しく食べれました。
温かいそばも美味しく、冷えた体が温まりました。
8日目のホテルは諏訪シティホテル成田屋。
Go toトラベルで5,760円→3,744円、安いのに慣れ、宿泊費用の感覚が分からなくなります(笑)
温泉があったのが決め手でしたが、翌朝の食事が豪華でとてもよかったホテルです。
まとめ
以上、8日目の歩き旅でした。
中山道最大の難所和田峠、当然歩くのは大変でしたが、素晴らしい自然を見れることのワクワク感が勝り、あまり足の痛みは感じませんでした。
日本橋を出発するときには、想像できなかった光景が広がり、「旅は面白い」と改めて感じました。
時間さえあれば、年1で行って癒されにいきたいと感じた素晴らしい場所です。
中山道歩き旅(前編)はこの8日目で終わりです。
ブログを読んでくださった方、コメントをくださった方、本当にありがとうございます。
励みになりました!
また中山道を歩くその日まで(前編完)。
参考文献
ちゃんと歩ける中山道六十九次 東 日本橋~藪原宿